農村保健と国際協力
                                  佐久総合病院国際保健医療科:出浦喜丈


1.はじめに:

 若月俊一らによって長野県の佐久総合病院を中心に実践されてきた農村保健活動は、日本の農村医療のモデルとされる。農村保健の最終的目標は、“保健を通じた村づくり”、つまり農村開発をおこなうということであり、病院による医療サービスのみならず、さまざまな地域活動が、農協などと協力した地域運動としておこなわれてきた。おおくの途上国においては、50%以上の人々が農村地域にすみ、農業に従事している。こうした途上国の農村地域は、いまなお、生活や環境条件が厳しく、保健や衛生状態も不良であり、いわゆるBHNを基礎においた協力支援が望まれる。その意味で、戦後日本の農村医療の経験と手法は、きわめて有用と考えている。筆者は、1997年から1999年までガーナ共和国で母子保健医療サービス向上計画にJICA専門家として従事した。ガーナから帰国後は、佐久総合病院の国際保健医療科に所属して、農村保健を通じた国際協力を進めるための仕事に従事している。ガーナでの経験を踏まえて、途上国に適応可能な農村保健の方法による国際協力について考えてきた。また、筆者がガーナから帰国後、2001年からは、フィリピン共和国のルソン島北部にあるベンゲット州で、JICAプロジェクトと連携して、日本の農村保健活動の原点ともいえる「八千穂村の全村健康管理活動」をモデルにした村ぐるみの健康管理活動に取り組んでいる。国際農村保健の理論化と実践を通じて農村保健分野での国際協力を目指す佐久総合病院国際保健医療科の活動を紹介する。

2.農村保健・地域医療の研修:

若月らの実践的農村医療が広く知られ、佐久病院では、これまで多くの途上国から農村保健医療に関する視察者、研修者を受け入れてきた。これまでに受け入れた視察研修者は92カ国1000人を越える。最近では、JICAから委託された農村保健と地域医療に関する研修員の受け入れが多くなっている。

筆者がガーナから帰国して研修を担当するようになってからは、“途上国で適応可能な農村保健活動のための研修”を目標にした研修プログラムをつくり、研修の成果として、途上国での農村保健活動計画の作成という目標をもって研修を受け入れている。研修内容は、佐久病院での農村保健の基本的なコンセプト、農村保健理論と実践的活動を踏まえた地域保健システムや健康管理の方法、八千穂村の全村健康管理活動、出張集団検診、農協や地域グループによる生活改善活動、農村保健の研修訓練方法などを研修モジュールとしている。研修員には、帰国後の保健実施計画(POA)を作成することを期待している。幸い、多くの研修員が佐久での研修成果を生かし、農村保健の手法を取り入れたPOAを作成している。JICAプロジェクトのカウンターパート研修として来日する研修員も多いが、かれらがプロジェクト活動のコンポーネントとして農村保健活動を計画実施することも期待している。さらに、日本の農業共同組合(JA)は、「アジアとの共生」を掲げ、アジア農業協同組合新興機関(IDACA)などを通じた農業政策従事者研修などの国際協力活動を進めている。佐久病院は、JAグループの1員として、IDACAと協力して農村保健活動の普及に貢献したいと考えている。日本の農協による“農協活動としての生活改善や保健医療活動”は、世界的に見れば、極めてユニークなものであり、セクターを超えた農協活動を開発途上国での国際保健寮協力に生かすことができないかということもわれわれの重要なテーマである。

フィリピンにおける村ぐるみの健康管理活動:

縁があって、2000年に、佐久病院はJICAの無償援助で立てられたフィリピンのベンゲット総合病院と姉妹協定を結んだ(写真1)。また、2000年からは、ベンゲット州でJICAの「農協強化を通じた農村所得向上計画プロジェクト」がはじまった。同プロジェクトは、JAの協力によるプロジェクトであり、ルソン島北部の山岳地域であるベンゲット州において、パイロット農協を選定し、総合的なモデル農協つくりをおこなっている。同プロジェクトは、農協の組織と活動強化のため、地域を対象とした生活改善や健康管理活動を計画した。筆者は、JICA短期専門家等として、たびたび現地を訪問して健康管理活動の具体化のための調査と助言をおこなった。その結果、日本の農村保健の原点ともいえる長野県八千穂村の健康管理活動の手法を取り入れ、村ぐるみの集団検診活動を実施すること、集団検診と平行して、農協と住民組織による健康促進活動を生活改善活動の重要な分野として実施すること、こうした活動には農協を中心にした住民参加の手法を取り入れること、さらに農協によるフィリピンの村落薬局(BBボティカビンヒというフィリピン農村にある一種の薬剤回転資金方式による住民グループ運営による簡単な薬局のこと、現地のNGOが指導している。)の利用・運営、などを提案した。約1年の準備期間を経て、2002年5月と20034月に、村ぐるみの集団検診活動が実施された(写真2)。この集団検診は、1週間にわたって村中心部の多目的広場に、仮設テントを設営して実施され、初年度は、バランガイ(村)の全対象家庭347家庭中258家庭(74%)、全村民約1800人の53%が受診した。老人からこどもまで、多くの住民が家族そろってはじめての集団検診を受けた。参加型集団検診の実践のため、農協やバランガイ(村)、住民ら話し合いを繰り返し、検診のための住民調査、応分の費用と労力負担をするなど、住民自身によって多くのことが決定実施された。集団検診の結果、婦人や子供の約半数に貧血が認められるなど、いわゆる潜在疾病や潜在的健康障害が総合的にチェックされ健康上の問題点も明らかになった。また、今回の検診の結果、家族の健康台帳(ファイル:村内のすべての家庭に登録番号が付けられた)が村内すべての家庭を対象に整備され、受診者については、基本的な健康記録の基礎情報が作成され、ファイルされた。今後のこの地域の保健システムつくりの極めて重要な基礎となるはずである。こうした活動を通じて、健康や生活改善にかかわる主体的な意識が飛躍的に高まった結果、第一回の検診後には、バランガイには、農協を中心にして、各部落(シティオ)に健康促進グループが組織され、住民グループによって、定期的な健康教育、保健衛生活動、栄養改善活動、環境衛生活動などからなるヘルスプランが作成され、これをベースにした農協と住民による組織的な健康促進活動が始まった。アディバヤンシタバオ(現地語で“健康のためのタバオの集い”)という健康キャンペーンや日本の農協運動を参考にしたタバオ55自給運動(T55SSM)、へルスファンドという名前での、検診受診のための貯蓄運動もはじめられた。こうした様々な活動は、農協、地区保健センターや病院、町当局(LGU)やバランガイ(村)保健委員会との協力によっておこなわれており、地域全体を巻き込んだ活動になっている(写真2、写真3、写真4)。

今回のフィリピンでの経験は、集団検診という極めて実践的な活動によって、農協や住民の組織化を進め、住民のニーズに応じた具体的な生活改善や保健活動をおこなうという日本の農村保健の方法が、途上国でも有効であることを示している。その後、新たに佐久病院で農村保健研修を受けたマウンテン州パラセリス地区保健センター医師らを中心に、ベンゲット州での活動を参考にした巡回型集団検診プログラムと農協によるBB運営の試みも始まろうとしている。

農村保健国際協力のためのネットワーク(NICRH):

日本の農村保健は、わが国特有の農村社会の歴史や社会制度に基づいた点も多い。しかし、途上国からの多くの研修員との意見交換および彼らが作成した研修後のPOAを通じて、われわれは、佐久での農村保健の手法が、途上国でも適応可能であることが理解できる。フィリピンでの健康管理活動は、JICAの“途上国で適応可能な地域活動研究会”でも取り上げられ、地域活動が国際協力活動につながった事例として紹介され評価された。

佐久で農村保健を研修した多くの人物は、帰国後は、自らの国や地域の保健政策の立案や実行に従事しているか、あるいはJICAプロジェクトに直接かかわっている。こうした人材、組織と機関の活動を通じて日本の農村保健の手法を普及することは、われわれにとっての大いなる望みであるし、途上国の人々にとっても利益となると信じている。今後は、佐久での農村保健分野の研修とPOAのフォローアップを進めること、また、途上国における農村保健と日本の農村保健手法の適合性に関する研究、農村保健分野の国際協力の実践を進めるためのネットワーク:Network for International Cooperation on Rural HealthNICRH)を立ち上げることなどを考えている。

長野モデルといわれる保健医療システムは、若月らによって築かれた農村保健の成果の一つとも言われている。戦後50年以上の歴史のある佐久地域の農村保健システムと手法をこうしたネットワークやJICAの援助スキームを通じて普及したいと考えている。

写真1:ベンゲット総合病院 写真2:第1回タバオ集団検診 写真3:タバオの風景
写真4:健康のためのタバオの集い 写真5:タク農協 子供たちのグループ活動